15年間一緒に過ごした貴方へ
すぐに書こうと思っていたものの、なんだかバタバタして3カ月近い月日が経ってしまいました。
2020年6月19日、この日をもって、私はNEWS 手越祐也の担当を降りました。
この日がいつか来ることは、ずっとずっと前からわかっていました。
何度も何度も、そのサインがあったから。
時系列があやふやで申し訳ないけど、
・2017年のNEVERLANDツアーの名古屋公演(だったはず)のUR not alone で自分のパートを歌い終わった後、客席に背中を向けて泣いていた
・RINGで更新された内容が「30歳を目前にして、将来のことを色々考えたりする」的な内容(たぶん2017年ごろ)
・EPCOTIA-ENCORE- 1/6東京ドーム公演で以前のツアーソロ曲Lovin’Uを披露するが、失恋の歌詞には相応しくない険しい顔で歌唱(2013年のツアー披露時ではありえない)
あともう色々あったけど忘れた。覚えてない。ありすぎたから。
(NEVER LANDのオーラスで泣いたのはLINE流出してショックだったんでちゅよね、よちよち)
前々から彼のファンだった人は、以前の彼と違う、っていうサインに気付いていたはず。
気付かないふりをしていた人も大勢いたかもしれないけど。
でも、自分はいつか来るその日に後悔しないように行動しようって決めていました。
今までのジャニーズの脱退、退所の通例だと、最後に会うことが叶わない、気持ちの整理を付けて見送ることは出来ない、ってわかっていたから。
山下、錦戸の2人が抜けたときも。
同世代のKAT-TUN、関ジャニ∞からメンバーが抜けていったときも。
突然「大切なお知らせ」って発表されて、ライブもイベントもなくて、直接言葉を伝えることが出来ないのは当然だとわかっていても、最後に姿を拝むことすらできない。
「あの時、会いに行ってれば…」
そう思うのは絶対にいやだったから。
とは言っても、あの頃のような高いモチベはなかったので、わりとゆるいヲタクに成り下がっていたと思いますが、 WORLDISTAの長野オーラスに行くかどうか、公演の数日前まで悩んでいた時、友人に「行った方がいいよ。後悔しないように」って言われて、結局日帰り弾丸の旅程でも行く決断をした自分を、褒めてあげたいと思います。 (制作開放当たったのもあるけど)
NEWSとして最後の単独ライブ。
行ってなかったらきっと後悔して、こんな記事も書いていられなかっただろうから。
彼と出会って15年。
グループが活動休止になって泣いて、
活動再開が発表されて泣いて、
再開後初のツアーのチケットが外れて泣いて、
結局初日に入れて幕が下りて登場した6人を見て泣いて、
2人が抜けることになってTwitterでオールしながら泣いて、
テゴマスのまほうオーラスで泣いた彼につられて泣いて、
美恋魂初日の秩父宮で汗と涙にまみれて泣いて、
もう他にもありすぎて覚えてないけど、こんなに泣かされることの多いグループないんじゃない?って思うくらい泣いたヲタク人生だったな。
ここ数年は、なんでこんなグループのヲタクやってるんだろ、って思うことも少なくなかったし、純粋に好き!とか楽しい!って思うようなことも減っていたけど、
未だに真夏の夕暮れの空を見上げると、秩父宮やほも神(注:ほっともっとフィールド神戸)でのあの光景を鮮明に思い出すし、これからもずっと思い出すんだろうな、って。
味スタのことは思い出さないですね。セトリクソ過ぎたんで。
退所後の彼の挙動について、自ら調べなくてもあれこれ日々耳に目に入ってくる環境にいますが、私が好きだったあの人と本当に同一人物なんだろうか?と思わずにいられないようなことが多々あるけど、
私は彼を好きだった15年を恥じることはないし、今までもこれからも大切な思い出には変わりはないから。
これからの彼には、1ミリも関与したいと思いませんけどね。
これが15歳からの15年間、担降りせずに一途に応援していたファンの末路です。
文字通り人生の半分、青春を捧げてしまったな。
何度も言うけど、後悔はしていないです。
色々文句言いたいこともあるけど、やっぱり、ありがとう、って思うから。
今まで幸せにしてくれてありがとう。
これからは違う人が私を幸せにしてくれるみたいなんだ。
「てごしくんが退所したら、私もジャニヲタ辞める」ってずっと前から決めてたんだけど、
なんだか予定が狂ってしまいました。
でも、彼と出会ったのは運命だと思うんだ。
てごしくんと出会えたことも、運命、って思ってるよ。
もう一度人生がやり直せて、てごしくんに出会える人生と出会えない人生を選べるとしても、やっぱりまたてごしくんに出会って、てごしくんのヲタクをする人生を絶対に選ぶよ。
同じ終わり方をしてしまうとしても。
もう一緒にはいられないけど、15年の日々のことを大切に生きていくね。
ありがとう。
初現場は堀越の体育祭だったYより